私のグランマ

祖母は現在入院中である。末期がん。胃がんが肝臓に転移して、おそらく腹膜にも拡がっているのだろう。MRIを見た伯母が「なんかね、全体的に擦りガラスみたいなの。」と言っていた。担当医が言うには「あと2週間・・・もしかしたらもたないかもしれない」とのことだ。

私の祖父は父方も母方も既に亡くなっている。小学6年と中学2年の時だ。中学2年の時に母方の祖父が亡くなり、兄や従兄弟から「顔、見てくれば?」と言われたが見れなかった。
父方の祖父が亡くなったとき、現実感がなくふわふわとしていた。しかし死に顔を見た瞬間、死んだということを背後から何度も何度も頭を殴りつけられているように、現実を痛いほど実感せざるを得なかった。もしかしたら麻痺していたのかもしれない。混乱していた。ついこの間まで話をしていたのにもう二度と動かないなんて信じられるわけがない。
そんな経験から顔面を突然殴られるような衝撃的な現実を見たくはなかったのだ。要するに“逃げた”わけだ。

9月、自宅で倒れているのを見つけられ入院した祖母は10月末に転院し、3日前からは身体的に食事を受け付けない状態になったために点滴によって栄養を摂取している。私も看護師の端くれであるから、食事を摂れなくなったら先はあまり長くないことはわかっている。いつ突然病院から連絡が来るかわからない。
そんな状態であるから、私を含む親族はこれからくるべき“死”に対して少なからず心の準備をしている。「もうばあちゃんには会えなくなるんだ。離せなくなるんだ。家に行ってもいないんだな。」そんなことを思いながら風呂場で泣いている。泣きながらも「会えなくなる、話せなくなる、って今から考えるなんて待っているみたいで失礼だよな。」などと考えたりもするものだから、自分でもどうしたらいいのか既に混乱状態に陥りつつある。

人の死には順番がある。年上から順に死んでいくのが自然であって、人間としてはぺーぺーの自分が先に死んでしまってはいけないのだ。それでも、生まれたときから近くにいて見守ってくれている人がいなくなってしまうのは悲しい。悲しいという気持ちが自分のエゴであることもわかっている。それでもやはり願ってしまうのだ。不変の世界を。


どうか祖母にとってよいタイミングで祖父が迎えに来てくれることを願う。

生の礼賛

『相棒』を観た後、『ギネ』に移動。問題提起モノの触れ込みだったのでどんなもんなのかと。正直、どこで切り上げて風呂に入ろうか悩んだ(笑)
『ギネ』を観ていて非常にもやもやしたのは、主人公(藤原紀香)の異常なまでの生命への執着。今後ドラマの展開にも関係してくること必至なのではあるが、盲目的礼賛とも見える生命への執着に対する答えがどのように提起されるのかというのは見たいようで見たくない。もしも「生命への考え方は多種多様である。」ということを認識しながらも生命の盲目的礼賛を劇中の登場人物及び視聴者にゴリ押ししてくるようならば私は非常に気分を害することが容易に想像できるからである。
今回、主人公と生命が関わるエピソードは大きく分けて3つあったのでそれにそって少し書いてみる。


「避妊失敗しちゃったんでぇーモーニングなんとかってやつ?欲しいんですけどぉ。コイツに今、妊娠されっと困るんスよぉ」とやってきた明らかにチャラいカップルに対して「避妊もできないような人にセックスをする資格なし」と言い、ピルの処方をしない。いいんですけど。ナマでやってピルもらいに来るやつには説教してもいいよ。だけど、仮にこのカップルが現状では子供を産み育てられないと考えてしっかり避妊していたとしたら?コンドームが運悪く破けてしまった、それでもやっぱり否定するかねぇ?結婚するまでに行うセックスを否定するってことだよね。はっきり言って。私はセックスを子供を作るためだけのものとは考えていないためモーニングアフターピル容認派。
子供ができたらできたでなんとか育てられるでしょ、とかいう考えは甘いように思う。たとえば学生、たとえばフリーター、たとえば無職、たとえば病気。いろんな状況が考えられるけれど、産まない決断をするくらいだから生まれてくる子供だって幸せに育てられるかと言ったら疑問が残る。環境として幸せに育てられる可能性が低ければ、おそらく私はピルを飲む。それは自分のためであると同時に子供のためにでもある。「そのほとんどが自分のためでしょーが!!」とか突っ込まないでね。自分が幸せじゃないのに、なんで子供を幸せにできるよ?

  • 高確率で障害が予測される胎児

胎児が非常に危険な状態で、すぐにでも帝王切開しなければ胎児を死産することになるが、産んでも90%の確率で疾患や障害を抱えることになる夫婦に「なんで堕ろすの?同じ命じゃない!!」と詰め寄る主人公。一番吐き気がした。産むこと、避妊すること、堕胎すること、すべて子供への愛情の形が違うだけなのに。そしてそれはどれを選んだとしてもエゴでしかないのに。子供のことを思って産まないことだけ悪なのか。産まない=殺す、だから、自分の手を汚したくないから生むのか。自己弁護のために産むならそれだって悪だろう。産むことばかりを良しとして、その考えを押し付ける医師もエゴイスティックと言わざるを得ない。そして、じゃあなんでインフォームドコンセント(最近は違う言葉だったかな?)なんてあるんだよ。
でもね、そう考えるのは仕方ないっていうのもわかる。そりゃあ命を救うために医師やってんだから。肉体的にキツい職業なのに精神的にもキツいとかね・・・。高給取りって言われるけど、もらって然りだよ、ほんとに!!自分には絶対できない。

  • 延命治療を希望しないがん患者

子宮がん末期患者の最期を偶然みかけて他の医師から「延命治療は希望されていないんだよ」と聞かされた主人公は複雑な表情で見送る。まぁね、わかるっちゃわかる。私の勤務先でも看取り介護をやっていくようだから、今後死生観が定まらなくて苦悩する介護士が続出する気がする。だけど、はっきり言って死が善いものになるのも悪いものになるのも、送り出す側の気持ちひとつなんだと。これは病死だけでなく自殺でも同じだと思う。ここ最近、身近な人が亡くなっていないので、最近大切な方を亡くした人は気分を害されるかもしれない。そのような人はここから先を読まないように!!
私にとって死は決して悪いものではない。若くして病気で亡くなったらそれはもちろん「もっといろんなことできたはずなのに・・・」って思うけど、同時に「よくがんばったね。でももう楽だから。お疲れ様。」とも思う。もちろん高齢になれば「よくがんばったね〜・・・」の比率が高くなる。実際、利用者さんが亡くなって顔を見に行ったときにそう思った。「がんばりましたね。話はできなくなるけど、痛みもなくなるから好きなだけ絵を描けますよ。」って。悲しいのは“会えなくなる寂しさ”という完全にこちらの都合なのだと思っている。
自殺はどうか?自殺も正直、あまり変わらない。「そんなに辛かったのか。でもこれでもう苦しまなくていいんだね。」と。もちろん、近しい人ほど「力になれなかった。」「死なずに済んだかもしれないのに。」と思うだろう。だけどそれはあくまでこちら側の妄想でしかない可能性も非常に高いのだ。ただ自殺に関しては、現在いろいろなNPOが予防活動を展開しているが、金銭的なことを解決することで死ななくてもよくなるケースも非常に多いのだという。また、男性の場合はうつ病の自覚がないことも多く、通院することで楽になることもある。このようなことから私は自殺予防活動は非常に重要であるし、効果があるものだと認識している。延命治療の話にも通じるが、やはり「やることはやった!」という“見殺しにしたわけではない確たる証拠”というものが残されるものには必要なのだろう。ただ延命治療に関して言えば「自分の最期くらい自分で決めさせようよ」「自分でそう決めたんだからいいじゃないか」という思いもある。


長々と書いてきたが、やはり私には「死=悪なのは許せない!」という思いがどうも強いようで・・・。たぶん自分の死生学の出発点が自殺願望(自殺を肯定してほしい、つーか自殺してなにが悪い!!)にあるからなんだろうなぁと思う。自殺願望から出発している割に自殺予防がライフワークだと思っているんだけど、おそらくその時“死にたい気持ち”と同じくらいの“生きたい気持ち”があったせいなんだろうと分析している。「病気さえなければ私はもっと生きたい!!」って思っていたからなぁ。それと大学1年のときに死生学をやったのも今の考えに大きく影響している。「“死にがい”は“生きがい!!”(納得のいく終わりを迎えるにはいい人生だったと思えることが大事)」なんてモロだし。デーケン先生、何言ってるかよくわかんないから寝ちゃってたけどありがとうございました!!

「今更感」という強敵

国会議員がうつ病治療のため3カ月休養

2009年09月19日 01時 03分 一般 | 政治
[add memo] メモに追加

シドニー19日AAP】   野党保守連合二酸化炭素排出権取引スポークスマンを担当しているアンドリュー・ロブ議員(58)が、うつ病のため3カ月間休養を取らざるを得ない状況となった。

ロブ議員は、毎日起こる生物学的傷害があると診断されており、これまでこの病気について全く知らないまま苦しんできたという。「私は朝が弱いだけだと思っていた。小さな黒い犬が毎朝私のところにやって来るようなものだった。すっかり人生の一部になっており、何とか手に負えていた」と語った。ロブ議員は6週間前に「ビヨンドブルー」のケネット議長に相談しており、その後でうつ病と診断された。

治療期間中は政治活動を控え、代わりにマクファレン議員が野党の二酸化炭素排出権取引を担当する予定。

日本でやったら叩かれんだろーなぁ。身体疾患で入院っていうのもあんまり聞かないし。

愛してるって叫んで喉を切り裂け

さっきお母様から「あんたに2万円あげるから」と言われた。「生活費足りないでしょ?」と。

そんなわけで、Amazonやら楽天市場を見ながら「これかわいいなぁ」と思ったり、「この間アウトレットで見た靴、やっぱり欲しいなぁ」なんていう考えが頭をよぎるとそわそわして具合が悪くなる小心者です。生きるって大変!!

うかつすぎる訪問者

やっとこさ実家のPCで音源録るぞーと思って、アパートから外付けHDDに入れて持ってきたオーディオインターフェース(UW500)のドライバをインストール・・・と思いきや、なんで?できん!!と思ったらアパートのPCはXP、実家のはVistaさんだったのねーーーー・・・・・・。よしよし、じゃあVista用のドライバDLすりゃいいじゃんと検索。出てこない。出てこないよ。いろんな検索かけてみたら「UW500はVista非対応」という記事がチラホラ・・・。困る。それは困る!!何か裏ワザ的なものがあったりするに違いないと検索しまくった結果YAMAHAオーディオインターフェースのドライバは全商品共通ということをやっと思い出した。ハハハ・・・。ってか、あるじゃないですかVista用。32bitとか64bitとかよくわからんけど・・・とりあえず32bitをDL。そしていんすとーーーーー・・・る?PCよ、PCさんよ、なんでUW500を認識しておきながらドライバはその存在を無視するのだ?

これ以上がんばってもお母様が帰宅して大音量では演奏できないんでPCは捨て置き。なんでか声だけはやたら出るようになっていた。ほんと、なんでだ?

散乱する自己

疲れている。非常に疲れている。たとえば焼きりんご。りんごの食感が悪くなったので何かよい調理法はないかと焼きりんごを試してみるも、何故か中まで火が通らない。たとえば釣り。青イソメが多賀城より+100くらいだったり、4時間実施するも豆アジ9匹という「ボウズよかマシだろが」と言われかねない釣果であるにも関わらず、中途半端過ぎる結果に半ば自虐的になってみたりする。それでも某釣り具屋の主人は「イカ釣りするの?」と私に声をかけ、イカ釣りは夜行うということや、豆アジならば潮汐に関わらずよく釣れていること、また豆アジはサビキで釣るということを親切に教えてくれたりした。また、片岸というところでは今も一軒一軒訪ね歩き虎舞を披露して接待を受ける祭りがあるということを知った。そんな人とのふれあいの中で釜石という片田舎のことを愛おしく思ったりもするのである。


問題はこの疲れである。おそらくは今朝、昨夜寝つきが悪かったにも関わらず、釣りに行くために10時に起きたことに端を発する。無理に起きたために身体の諸機能がうまく働かず、朝食を抜いた。そして、そのことによって朝食後に飲むはずの薬を飲み忘れたのである。もちろん、このことだけが原因ではないとは自分でもわかっている。ここ数日、非常に寝つきが悪いのだ。睡眠導入剤を服用してもなお、あの身体が浮遊するような感覚を伴う心地よい眠りがやってこない。そして、十分に疲れが取れないままに目を覚ますのだ。


しかし依然問題なのは疲れである。インターネットに興じつつも何をしようかよくわからず、はてなブックマークからアンサイクロペディアを選択し、自分から単語を入力することもなくリンク先へと飛ぶことを繰り返す。携帯電話を操作すれば、ワッサーでやれ焼きりんごがどうの釣りがどうのと連投し、最後に疲れていることをポストしようとしてあきらめたりする。挙句には「ああ、なんだか落ち着かない。なんだかイライラする。きっと私は疲れているんだな・・・そうだ、京都へ行こう!!」などと自分でもよくわからない連想ゲームをしている。そしてそれだけでは飽き足らず、はてなに投稿しようと言うのだから救いようがない。

今日こそは18時間くらい寝てやろうと思った途端、明日は入院している祖母の昼食介助に行く当番だということを思い出した。煙草を一本吸ったら湯船に浸かり、電気アンカに足をピタリとくっつけて寝ることにしよう。



・・・どうしよう。オチが見当たらない。