ぼくらの時代

18時頃の国道45号線多賀城市内)

夜勤明けで帰宅して、昼12時くらいにやっと布団にもぐりこんだ私は14時46分の地震の直前で目が覚めた。目が覚めたらカタカタとゆれ始め「なんかヤバイ、絶対でかい!!」と思ってとりあえずテレビをつけたものの、そんなのを見ている余裕もなくダッシュで居間へ。後ろから「ポーンポーン・・・ピロンピロン」という音が聞こえた。

半端ない揺れの中でなぜか買ったばかりのテレビを押さえながら壁に背中をつけて窓の外を見ていた。向かいの家の屋根からは瓦がバラバラと落ちていた。

「うをーーーー!!!!宮城県沖地震きちゃったよーーーー!!!!大地震ってこんなにでかいもんだったのか!!!!」

とかなんとか思いながら長い長い揺れに耐えて、非常持ち出し袋を持ち、汚れてもいいようにカーゴパンツに履き替え、一番暖かいと考えられるアウターを身につけ、丈夫なトレッキングシューズを履いてひとまずアパートの駐車場へ。

真下の住人も駐車場へ出てきていた。電信柱が倒れたりしたら危ないので、とりあえず近所の空き地に一時的に避難。が、近隣住民は全くもって避難する様子なし!下校途中の子供達は家に戻るらしく海側へ向かっているし、隣の家の住人も中学生の娘の帰りを待っている。我が家も長らく出張で不在だった父が2月に戻ってきていたため、私も父を待ってみることにした。

人の動きを見ながらどう行動するか案じていると、父がアパートに戻ってきた。父の職場は歩いて10〜15分のところにあるが、アパートよりは若干海寄り。しかし父は私の無事を確認するとまた職場に戻ってしまった。さて、どうしようか。玄関先でラジオを聴いていた人のところでラジオを聴きながら、ケータイでニュースを見ていた。やっぱり、ではあるが津波警報が発令されていた。しかしこの時点では津波の到達予想時刻や高さは把握できていなかった。

相変わらず避難所に向かう人の姿は見えないし、何の広報も回っていなかった。45号線は大渋滞。「じゃあ・・・文化センターに行ってみましょうか」と真下の住人と一緒に移動を開始した。100m程度歩き45号線に差し掛かったとき、パトカーが津波が迫っていることを広報しながら走ってきた。

津波、ということは高台に逃げなければならない。目指していた文化センターは高台にあるため、そのまま文化センターに向かって避難しようとした。アパートから文化センターに行くためにはルートが2つある。ひとつはマックスバリュ方向に橋を渡って土手を通るルート。もうひとつはミニストップを過ぎて橋を渡り駅の横を通るルート。そう、文化センターに行くためには何処を通っても橋を渡る必要があるのだ。津波警報が発令されているため橋は通行止め。

「えー・・・どうしよう」と思ったのもつかの間

「もうそこまで来てるから急いで歩道橋にあがれ!!!!」

という声。とりあえず歩道橋へ。あがって間もなく狭い路地から45号線へと水が流れ込んできた。45号線には車が渋滞の列を作っていたが、車から降りて歩道橋に上がる人と乗ったまま逃げ道を探す人に分かれた。あるいは上手いこと駅のほうへ逃げ込めた人もいただろうか。水はあっという間に45号線を埋め尽くし、ポリタンクや物置や木っ端そしてハザードランプのついた車などが次々と歩道橋の下を流れていった。

海からも距離があるのでそんなに水位も上がらず、すぐに水も引くだろうと思った。しかし予想に反して水位はぐんぐんと上昇し、ブロック塀がすっぽりと隠れるほどまで上昇した。一向に水の流れは緩まないため

「あーもうこれはダメかもしれん。でもまぁ、私がダメならお父さんもダメだろうし、一人じゃないからいいか。」

と思った。ちなみに水が流れ込むところをムービーに収めることも考えたが、フラグが立ちそうなので止めた。日が翳ってきた頃、水位の上昇は止まった。

  • 極寒の夜

水位の上昇は止まったものの、水の引く気配は全くもってない。津波到来後から降り始めた雪は、日が暮れると勢いを増した。80人ほどが歩道橋で孤立していた。近くにいた人たちでタオルやブランケットを持ち寄って寒さを凌いでいた。歩道橋から程近い距離にある橋は津波を免れたため、消防車やパトカーが待機していた。時々

「具合の悪い人はいませんかー?」

など拡声器で歩道橋に呼びかけてくれていた。18時を過ぎた頃、救助用ボートを手配していることが伝えられた。しかし、待てど暮らせどボートの着く様子は見えない。時々空は雲が晴れて星空が見えていた。いつもなら店の明かりでほとんど見えないが停電で真っ暗なために岩手の実家と同じくらいのたくさんの星が見えた。

21時か22時か定かではないが、橋の袂にボートが到着した。歩道橋から歓声が上がった。これで避難所に行ける・・・と思いきやボートは歩道橋をスルー。何で?歩道橋にも動揺が広がる。

「先に車の上などにいる人の救助に向かいまーす。歩道橋に体調の悪い人はいませんかー?」

あー・・・ソウデスヨネ。水に浸かっていないだけ自分たちはまだ余裕があるのだ。水上バイクとゴムボート、組み立て式のボートが歩道橋の前を通り過ぎていく。一部の主婦が「早くしてください、って言いましょう」と周囲に声をかけていたが、私にはそんな気持ちにはなれなかった。自分たちより優先されるべき人がいるのはわかるし、消防隊員が私たちをできるだけ早く助けたいと思っているのもわかる。おそらく彼らもそのことでジレンマを抱えていたに違いない。

寒いことには変わりなく、深夜に向かって気温はぐんぐん下がっていった。気がつくと東の空が赤く染まり、遠くでドーン・・・という音がしていた。