キミに届け

[ 中田の引退に思うこと(その2) - あんぼのおぼえがき ]
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高校、大学と私はずっと音楽を中心に生活してきた。高校では合唱、大学ではギター片手に路上etc.ライブという形で、自分でも「バカなんじゃないか?」と思うくらいに音楽をやってきた。
「ステージに立つからには、自分達の最高を見せるべきだ」と信じてやまなかった。高校3年後期、受験勉強よりも合唱の練習に打ち込んでいた。「そんなことより勉強しろ!」と言った教員がいた。大会ではなくても自分達にとっては最後のステージなのだ。
「人に見せるものなのに、適当なものを見せてもいいのか!!」
職員室で自分でもびっくりするくらいの勢いで教員に泣きながら抗議した。学校にとってはどうでもいいことでも、私にはものすごく大切なことだった。


大学へ進学した私は、ギターと出会う。講義のない時間や朝早く(7時くらい)から部室でギターを必死で練習した。意気投合した同期と夜の盛岡に繰り出しては歌っていた。「路上ライブは聴きたくない人の耳にも届くものだから、下手なものはだせない!!」という信念で練習しまくった。カバー曲だろうが自作曲だろうが、それは人に届ける、届いてしまうもの。自己陶酔ではだめなんだ!だから人に届ける作品としての完成度を高めるために休日も部室で練習していた。
進級するうちに部員数も増えてきた。人の数だけ歌への考え方はある。自己陶酔のために歌う人もいた。それでも歌いたい、ギターを弾きたいという気持ちに応えるために講習会や新入部員のお披露目ライブを開催したりもした。お披露目ライブでは私がもっとも苦手とするアルペジオやペンタトニックを使った間奏をすることを決め、毎日部室の閉まるギリギリの時間まで練習していた。
自分の信念を貫くため、私の歌を好きだと言ってくれる人の気持ちに応えるために一生懸命だった。勉強のほうはいつも追試だったのは置いておいて・・・。


私事から卒業までは在籍できなかったが、ライブをしたいと思う後輩達に私の思いは伝わったんだろうか?ただ、あのサークルで大学からギターを始めてガツガツ練習して成長する姿は、きっと同年代の部員に私なりの“音楽”伝えることはできたんじゃないかなと思う。




・・・そんな独り言。




余談ですが・・・
中学でも高校でも先生から「音楽の道に進んだら?」と言われたりもしました。でも音楽の世界はバクチと一緒で、実力だけでなんとかなる世界じゃないこともわかっていたのでそこへ飛び込む勇気はありませんでした。
偉そうなコトを言っていますが、私は負け犬デス。