釈迦如来の中の悟空を見つけた三蔵

4年間、この精神疾患と戦ってきましたけど、初めて、私の病気の裏側に気づいて、手を差しのべてくれるドクターに出会いました。4年間も闘病してるのだから、関わったドクターの数もそれなりなのですが、なんで今までカウンセリングマインドなドクターに出逢えなかったのか、不思議でしかたないっす。


これまでもドクターの前で泣いたりしたことはあったし、心の澱を吐き出そうと試みたことはあった。でも誰もその後ろにある私の心に関心を示さなかったし、手を差しのべることもなかった。
だから、私にとっての病院は“薬をもらう場所”に過ぎなかった。だから、今の病院でも決まったドクターに診てもらうことにこだわらなかった*1


今日のドクターにもはっきり言って何も期待していなかった。ただ、今の状況を見て、薬を処方して終わりなんだろうと、そう思っていた。
Dr.K*2は過去の記録をじっくりと読んで、私に「なんで病院に通ってるの?」と訊いてきた。私は「たまに調子を崩すからじゃないですか?」と答えた。もう治りかけだし、はっきり言って薬をもらうためだけに通院しているようなもんだと、実際思っていた。しかも、今日は受付してから3時間以上待たされたので、疲れきってパニック症状も出きって、もうどうでもいいカンジだった。


なんだかんだ、いろいろ話しているうちに、なぜか泣けてきた。「それが本来のあなたなんじゃないの?」と言われた。
考えてみれば、自分のための怒りは避けて通ってきた。それらは無様でかっこ悪くて、許される感情ではないと思っていたから。気づいたら、私の感情からは“怒”がなくなっていた。“怒”はすべて“哀”に変換されて、他人に対する怒りの矛先が自分に向うようになっていた。それが結局、もらい鬱だったとは言え、簡単に治すことも叶わず、4年という年月を奪っていったのだろう。徐々に深刻化しながら。


表向きはいつも笑顔で明るくて、周りも巻き込んでハッピーな気分にさせることもある釈迦如来。でも、その影には泣き虫で怒りっぽくて、攻撃的な孫悟空が幽閉されていた。
そんなところじゃないかと、思う。釈迦如来は言いすぎだけど。


まぁ、そんなわけで、理想のドクターとめぐり合うことができました。最後には「このヤブ医者!!」って言えるくらい、無様にあがいてください、とのことでした。
やっと、希望の光が見えた気がしました。

*1:今の病院は曜日毎にドクターが変わる

*2:ちなみに「マントを広げると手術道具が!!」なんてことはないw