枯れた花の美しさ

桜は散るからあんなにも人はこぞって花見をする。花火はあっという間に終わってしまうから人は余韻に浸る。それと同じように、人は年を取っていくから若さをうらやむ。だけど、枯葉が舞い散るのを美しいと、雪が積もっては溶けていくさまを美しいと思うように、年を取ったからこその美しさだってあると思う。ピンと張り詰めた肌も、皺くちゃの手も、同じくらい美しいのだ。


数年前、森山直太朗の『生きてることが辛いなら』をバックにおばあちゃんが赤ちゃんを抱っこしているCMがあったのを覚えているだろうか。確かメディカルなんちゃらのCMだったと思うが。あのおばあちゃんは衝撃的だった。皺だらけのヌードがこんなにも美しいものかと。若者のヌードには出せない美が間違いなくそこにはあった。おそらくそれはkyuiくんの言う「先鋭化された肉体や欲求」そのものなのだろう。余分な欲求をそぎ落として現れた肉体。
施設のおばあちゃん達は私や職員の手を見ては「きれいな手だねぇ。私なんかホラ」と言って自分の手を見せるけど、私はその手が醜いとは思わなかった。年を取ったら年を取ったなりの美しさが間違いなくある。彼女達の手を今の私は手に入れることはできない。だからそんなに私たちの手を、若さをうらやむ必要なんてないと、本気で思っている。

まぁ、そんなわけで、私、今の職場を退職いたしました。
理由は言わずもがなー。3月アタマから続く体調不良が一向に回復せず、薬もなんか去年出たばっかの強烈な抗うつ剤を処方されて起きれなくなったりしてね。なのでしばらく実家に帰って療養して、帰ってきたら夜勤専従か午後からのお仕事をしようかと思っているよ。