うちのばあちゃん

27日の葬儀は化粧が剥げ落ちるくらい泣いておりました。んで、忌明けに幸楼でご飯を食べたらウンコが腹に溜まりすぎてて口からオーバーフロー。なかなかの踏んだり蹴ったり。

亡くなったばあちゃんは実家から車で5分もかからないくらい近所に住んでいた。私が小学生のときは学校帰りに友達と一緒にばあちゃんちに寄ってお菓子をもらったりしたもんだった。中学生のときにじいちゃんが死んでからは、足の悪いばあちゃんのために母が料理を作ってよく持っていっていた。私もそんなに忙しい生活をしているわけでもなかったので、ちょくちょくばあちゃんの家に遊びに行っては話し相手をしていたりした。私が家を離れてからも盆正月は必ずお土産を持って顔を出した。「もう働いてるからいらないよ」と言っても行く度にばあちゃんは小遣いをくれた。
私だけでなく兄も弟もばあちゃんとはそういう関係を持っていたので、母曰く「うちの子供たちが孫の中で一番泣いてた」らしい。確かに兄も顔を見なくてもわかるくらい泣いていた。

ばあちゃんは今年の9月に自宅で倒れているところをヘルパーさんに発見されて救急搬送された。検査してみたら肝臓ガンの末期だった。ずっと病んでいた胃がガンになってそこから転移したらしい。
10月に私が休職して実家に戻った時にはふっくらしていたほっぺたも身体も肉が落ちて一目で「痩せたな」とわかるくらいだった。それでもちょこちょこご飯は食べれていたんだが、11月中ごろからご飯も喉を通らなくなってしまった。それでも意識はしっかりしていて鎮痛剤で朦朧としながらも、見舞いに行けば話をした。12月中旬、私は復職のために多賀城へもどる前の日、見舞いに行った。私が行く前に母が見舞っていたのでしゃべりつかれたのか「しゃべれない」とばあちゃんがジェスチャーするので、そのまましばらくベッドサイドに座っていた。すると布団をはいで腰を指差すので病衣の紐を結び直して欲しいのかと思って手をやると、ばあちゃんは私の手をつかんだ。いままでそんなことをされたことがなかったので少し驚いた。それと同時に「これでもうお別れなのかな」とも思った。
23日、母から「面会謝絶室に移動したよ。いよいよです。」というメールがきて、翌24日の昼に「ばあちゃん亡くなったよ。」とメールがあった。わかっていたことではあったが寂しかった。悲しいというより寂しい。もうあの家に行ってもコタツには誰も座ってなくて、誰も私を迎えてはくれないのかと思うと寂しくて仕方がなかった。今でもそれは寂しくて涙が出る。

ばあちゃんが亡くなった後に母から「ばあちゃんね、いっつも“ラブギは?”って訊いてね、すごい気にかけていたよ。」と聞かされた。最後まで自分のことより他人を気遣ってたばあちゃん。せめて向こうでは気楽に気ままに過ごしてくれたらと思う。
来年から盆と正月は寂しくなります。