先日のことはあとでうpしますので

女子フィギュアを見てて、つい書きたくなってしまった…。安藤美姫が途中棄権したの観てフィギュア選手って競技者であり表現者である、なかなか難しい位置にあるんだなーと。
競技者としては、体調が悪くても最後まであきらめらたくない、無理を承知で戦いを挑みたい。その年のその大会のメダルはその時しか手に入らないから。とはいっても、選手生命を絶つような無理はできない。
表現者としては自分が満足できる演技ができない可能性が高くてもステージにあがらなくてはならない。しかし、あまりに表現が伝わらない状態であるとわかっているなら、そのステージは諦めざるを得ない。もし演劇なら代役もあるだろうし、替えのきかないものであれば公演を振替することも可能だ。
彼女の棄権する姿は競技者としての意地と悔しさ、表現者としての申し訳なさや自責がいっぱいに詰まっていたように思う。競技者、表現者、どちらか一方であるなら、こんなにもたくさんの感情が交錯することもないのだろう。見せるということ、勝負するということ。きっと彼女らはいつもギリギリのラインで戦っているんだと感じた。

だから私はフィギュアスケートを観るのが好きなんだろうな。私はそんな大勢の前で表現する人間ではないけど(表現する機会もほとんどないがな)、表現者としての責任はよくわかっている。だからきっと観ていて感情にシンクロするんだ。せつないわー…。

て、書きつつも、私やっぱりこーゆー感情論を語るの*1下手すぎて伝わりにくそーだなーとか思ったり。んー歯痒い!

*1:てか論理的な説明全般だがな