無意識の偽善者には虫唾がはしる

ここ最近、はしごたんのことで一部はてなブロガーは大盛り上がりですな。私も一応流行にのって覗いてみましたよ、関連記事。まぁ、まさお氏の撤退によってこのお祭り騒ぎも終焉を迎えるんだろうけど。に、してもだ。この一連の騒ぎで一番気持ち悪かったのははしごたんではなくはしごたん擁護派だよな。マイノリティだからっていうだけでマイノリティが起こした騒ぎは正当化されていいんだろうか、と思う。それはDr.林の言葉を借りて言うなら
逆差別
なのではないだろうかと。病気だから傷つけてもいい、傷つけられたから傷つけてもいい。そんな論理は通らないだろうよ、いかにマイノリティであったとしても。で、そーゆー「弱いものは守らなくちゃいけないだろ?」みたいな、いかにも偽善的な言動や主張をきくと、私はかなり気持ちが悪くなる。それはこの件に限ったことではない。一般社会においても私はそーゆー人に嫌悪感を抱く。


ここからはボランティアの話になるわけだが、なんでここで話が逸れるかというと「ボランティア大好き☆」という人はボランティア活動によって得られる“他人からの評価”を求めていることに気づかない人が多く見受けられるからである。ボランティアは“人助けetc.によって社会的評価を得たい”とか、そーいった下心が活動の原動力なんじゃないだろうか。もしくは“ボランティア活動を通して技術を身につける”とか。
後者の場合、「ボランティアつっても自分は得るものがあってやってるから無償じゃないんだよなー」と、いわゆる“偽善”もしくは“有償の善行”であることをわかって活動していることが多いように思う。
厄介なのは前者である。実は自分にとって得るものがあるにもかかわらず「私は見返りはいらないの」と言ってしまうあたりが相当痛々しい。ボランティアやると感謝されるのにな。感謝、という報酬をもらってるのに気づいてないんだろうか?というか、感謝という報酬を求めていることに気づいてないのだろうか。気持ち悪い。そんでもって、そーゆー人に限って「なんでボランティアしないの?暇もてあましてるならボランティアでもしなよ。」と他人にも活動を要求したり、活動しない人を評価しない傾向にあるように思う。
ちなみに、福祉業界がいつまでたっても給料低いのは世間的に「福祉はボランティアだ!!」と認識されてるからだ。これはほぼ断言してもいいだろう。でも、実際に働いてみると福祉業界で家族を養っていくのは相当難しいことに気づき、転職する、という人がかなりいる。福祉はボランティアじゃない。だから、これから福祉業界はその専門性を確立して、その専門性の高さを社会にアピールしていく必要があるのではないだろうか?


で、はしごたん騒動に話を戻すのだが、はしごたん擁護派が気持ち悪いのは超絶的に感情論でもって出来事を「良い」か「悪い」に振り分けてしまうところにある。どうしてその感情論を感情論であると認めず、理論的意見を否定するのか。自分の意見の根底にあるものと、彼らは向き合っているのだろうか?「弱いものを守る=善」と刷り込まれた我々は、今回のはしごたんのように「弱者を擁護する」ということで「いい人」であると評価して欲しいのである。“善人”の定義に疑問を持たずにきた、その懐疑心のなさに私は嫌気がさすのだ。
余談だが、はしごたん擁護派は共依存傾向にあると思うよ。「はしごたん・・・みんなに悪者にされてカワイソス・・・誰かが、自分が守らなきゃ誰が守るって言うんだーーー!!」ってね。お前が守らなくても誰かが守るっつーの。その盲目的正義感がはしごたんをさらに悪化させるのにな。まさお氏のように。


ボランティア好きとはしごたん擁護派の関係性についてうまく説明できんかった・・・なかなか文章にするってむずかしいなぁ・・・。